スタンスについて。

このところ、20代の方と多く話をする機会に恵まれた。
ざっと数十名。
そしてオフィスの新規スタッフに応募してくれた方々とも話をした。
その中で毎回聞かれたこと。
「どうしてもっと自分や自分たちの仕事をアピールしないんですか?」
それは、必要なのか?
現代はセルフブランディング、プロデュースの時代である。
猫も杓子もSNSなどのメディアを使って自分を見せ、
大なり小なりのWorkshop、講座、サークルなどで人を集め、話す。


そういえば近年、表に出てくる編集者やディレクターが増えた気がする。
つい最近も、同世代の編集者(と本人は言っているそうな)が本を出したという。
「あれ、読みました?」と聞かれたけれど、読んでいない。
コピーは書店で見かけた。いま必要なのは編集なのだそうな。
・・・今更かい。

そんなもんは昔から言われているし諸先輩方はちゃんとやってきている。
素材があって悩みがあってアウトプットのターゲットがいて、
それをエンドから考えて繋いでいく。
そんなこたぁ、脈々とやり続けられている。
ただ、見えていなかっただけのこと。
ただ、スタンスが違うだけのこと。
編集者やディレクターというのは、「影」なのだ。
「自分の仕事」を人に届けるのではなくて、
媒介となることで、伝えたいなにかを届ける。
そこに「自分」という存在の痕跡は不要。
少なくとも私はそう思っているし、諸先輩もそう唇を高回転させながら言っていた。


ところが、だ。
編集と名乗る人たちが、表に出始めた。
これは重大な危機だと感じている。
自分のやっていること、やってきたことをまとめ、誇り、出すことは、
即ち消費される側に回ってしまうと言うことではないのか。
出すことが、セルフブランディングには必要なのには違いないのだろうけど。
そもそも形ないものを形にする技なんて、言葉にすべてはまとめられない。
直感力だったり、無意識の所作だったり、
「ん〜、なんとなく、ね」というものが存在しているからだ。
ただし、言葉にはできないけれど、自分では分かっていたりもする。
ま、言葉にできない時点で編集者失格、という声が挙がるかもしれないけれど。
底が深くて自分の全容が見えない、ということもあるかもしれない。
だったら、ある程度掘ったら底が見えるから、言葉にしやすいということか。


人の話を聞いただけでできるようになるのなら、
編集やディレクターは、誰にでもできる職能だとなってしまう。
「編集者やライターって、どうすればなれますか?」
と質問されることがあるけれど、常套句として
「誰でも今からでもなれる」と答えている。
名刺に肩書きとして入れるだけでよい。
ただし、続くかどうかは別。続いていけば、その毎日が自分をまた育ててくれ、
自分のスタンスも見えてくるんじゃないかな。
そして積み上げた成果が、自分の本当の名刺となるんじゃないかな。



山窩の人々のように必要とされる場所へ出向き、
必要とされることを寡黙にやり、そして出る。
そうありたいものだ。
消費されない彼岸に常に立ち続けているからこそ、
希有な職種は、細々と生き続けているのだと思うのだが。
こんな考えでいると世の中のトレンドにはそぐわず、淘汰されゆくのだろうな。


                           2017.0728  橋本
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